ちょっと長いけれど、以下は5年前の府連大会のレポートです。なぜ今頃かと言うと、この時に提起された問題が目前にあるからです。5年前は、こういうふうに考えていたんだなと、改めて思い起こし、確認作業をしています。その上で、どうするかを決めねばなりません。とても悩ましいですが、基本的な考え方は間違っていないと思っています。おそらく、他の人も同調してくれるのではないかと・・・。
低調に終わった大会
「大阪府水平社創立90周年の年、人権・平和・環境を基軸に、総合的な部落解放運動を展開しよう」をスローガンに掲げた、大阪府連第59回定期大会は、2012年4月14日に、和泉市人権文化センターで、定員420名のうち348名の参加で行われた。前日からの雨が残り、少し肌寒さを覚えるあいにくの空模様だったが、帰る頃には西に傾いた日がまぶしいほどの天気になっていた。
スローガンにもあるように今大会は、水平社90周年の年にあたり、100周年に向けてどのような方針を打ち出すのか、とても大事な意味を持つ大会でもあった。しかし、分散会や全体討論を通じた代議員の発言を聞く限りは、方針案についての意見や質問はほとんどなく、議論がおこらないまま、あっけなく採択された。こうした姿は、今に始まったことではなく、もう何年も前から続いており、驚くにはあたらないが、今回の方針案は、とても危うい内容をはらんでいると思うだけに、とても心配になった。
府連大会に参加するのは3年ぶりだったこともあり、まずは他の人の発言を聞こうと、第3分散会(63名が参加)に入った。最初に、住吉支部の代議員から、市民交流センターの廃止など橋下改革に全面対決すべきとの発言があったが、その後、議長が発言を求めても、誰も手を上げないので、まだ早いとは思ったけれど手をあげた。「狭山闘争のあり方」と「組織・財政改革」について発言したが、結局、第3分散会で私のほかに発言したのは、3支部5名という少なさで、予定時間を大幅に残して終了した。おそらく他の分散会でもそうであろうと思い、全体討論で再度、発言しようと、発言通告用紙を提出した。そして、迎えた全体討論だったが、発言者は私を含めてたったの3名で、これまたびっくりした。だから、大会自体も予定よりとても早く終わり、気が抜けてしまった。
私の発言
2012年度の4大重点課題として提起されている、「総合的な部落解放運動の策定」と「契約・分担金制度の導入」について意見を述べたいと思います。
どんな言葉・文字で、言いたいことを表すのか、そこには思想性や感性がにじみでてきます。部落解放運動に「総合的な」という形容詞が付け加えられて、これまでとは違った、何か新しい解放運動がイメージできるかのように錯覚しそうにもなりますが、方針案に書かれていることは、ことさらに目新しさはなく、「総合的」には特別な意味はないような気もします。では、何ゆえにあえてそうした言い回しをしたのかということになりますが、やはりそこには、特定の問題意識があり、ある方向へ運動を進めていこうとする意思なり、意図があるはずです。
それは、「昨年の府連大会の全体会でも支部代議員から提案されていたように、名称変更も見据えた組織の大改革が必要です。」とさらっと書かれている一文にも見て取ることができます。「名称変更」について、議論はおろか提案もされていないことを、書く必要は全くないと思いますが、あえてここに書いたということは、何らかの意図があり、意思が働いているとみて差し支えないと思います。つまり、近いうちに解放同盟というカンバンをおろして、名前を変えるんだろうと思われてもかまわないと考えているということだと思います。「世間」はそのように受け止めるはずです。
「総合的な部落解放運動の展開」については、本日の大会に先立って、4月4日に開催された「支部長・書記長・財務担当者会議」で、「連帯分担金制度」と共に、提案・説明がありました。「連帯分担金制度」は、同盟員の減少と財源不足という状況をふまえた措置で、これによって各支部の負担は一定減るとされています。「総合的な部落解放運動の展開」とは、NPOや法人をつくり、事業をおこし、財源や人材を確保をしていくことのようです。すでに10日が過ぎましたが、考えれば考えるほど、これはおかしいのではという思いが強くなってきました。一言で言えば、これは、部落解放同盟を事業団体に落とし込めるものだし、差別との闘いを二の次、三の次にしてしまうものだと思います。
運動を継続するためには、お金も人も必要ですが、みんな四苦八苦しているのが現実です。だからといって、それらを確保するために、「事業」に精を出すのは少し違うような気がします。痩せても枯れても、部落解放同盟は、NPOでも法人でもないし、ましてや起業家や事業家ではなく、部落差別と闘う運動団体です。このことは誰も異論がないと思います。ゼニのために志を曲げたり、目的をないがしろにしたり、看板に泥を塗るようなことは、あってはならないことであることも言うまでもありません。しかし、提案されていることは、まさにその道に踏み入ることをあからさまに宣言するものであり、同盟を変質・解体に導くものと断じざるを得ません。
また、方針案には「運動と事業の統合~事業手法で部落問題を解決していく~」とも書かれていますが、これは、「運動と事業の分離」を原則として、各地域で苦労してやってきたこととは正反対で、一体、いつ・どんな議論を経て、この原則の放棄に至ったのでしょう。「現状がすでにそうなっているから」追認するだけだというかもしれませんが、そんなご都合主義、泥縄式で済むようなことではないと思います。きちんとした検証と総括をすべきです。
百歩譲って、仮に現状がそうなっているとしても、私はその現状こそがおかしいのだと思います。府連大会や機関の会議で方針論議が起こらなくなってもうずいぶんになります。その代わりにあるのは、各地域での「活動報告」です。もちろん、それを否定するつもりはありませんが、それらの多くは解放同盟ではなく、地域のさまざまな団体の取り組みです。狭山闘争や差別糾弾闘争や、部落差別をどうとらえ、どんな方向性が必要かといった、部落解放運動の実践や意見を聞くことはなくなっています。
そういう意味では、すでに部落解放同盟は「事業団体」になってしまっているのかもしれません。しかし、そうであったとしても、それを追認したり、促進したりすることは、いびつなありようを決定的にすることに通じると思います。だから、こうした現状について警鐘を鳴らし、歯止めをかけ、あるべき運動の姿や方向性を示し、解放同盟らしい運動を創り出すための議論を呼びかけることこそが府連の果たすべき役割・使命であり、「事業手法で部落問題を解決していく」などといった発想をすべきではないと思います。
どこの支部でも、同盟員だけではなく、部落全体、ひいては地域や校区全体の人たちを見据えた運動や取り組みをしてきたし、今もしています。47支部それぞれのありようがあり、一括りにはできませんが、NPOや法人などがあるにせよ、ないにせよ、どこの部落でも、さまざまな取り組みを根っこで支えているのが部落解放同盟ではないかと思います。豊中もそうですが、解放同盟がこけてしまったり、おかしな方向にいったりすれば、大混乱に陥るのは必至です。縁の下で一番厳しい役どころを担っているのが解放同盟で、それがあってこそ他が活きるのです。これは、「運動と事業の分離」という原則の見事な実践でもあると思います。
部落解放運動90年の歴史を振り返れば、恵まれた時代は一時期であって、志ある人たちが手弁当で、生活をなげうって、闘いついできたことがわかります。いわゆる「特措法」時代の33年間は、良くも悪くも特別な時代、それこそ夢のような時代でしたが、夢はいつかはさめるものです。その意味では、今、解放同盟はあるべき姿に戻ったのだと思います。だから、「夢よ再び」ではなく、「身の丈にあった運動」をこそ丁寧にやるべきです。そこをわきまえて、運動組織としての規律と作風を堅持していくべきです。でないと、またぞろ「不祥事」めいたことを繰り返すはめにもなりかねません。
改革は避けては通れませんが、「総合的な部落解放運動の展開」と「連帯分担金制度」なるものは、部落解放同盟を「事業団体」に変質させ、そのカンバンをおろすことにつながる危険性をはらんでいます。これが実行されれば部落解放同盟は死に体となり、部落解放運動は安楽死させられるでしょう。私の危惧が取り越し苦労になれば幸いですが、あえて反対意見を申し上げ、発言を終わります。
私の発言に対するコメント
これに対して、赤井府連書記長はつぎのようにコメントした。
・「名称変更」の件については、今のままのあり方では組織も運動ももたない。名称変更を検討するくらいの覚悟が必要という意味だ。
・痩せても枯れてもと言うが、部落解放同盟をなくすわけにはいかない。社会的起業にチャレンジするために、部落解放同盟が先導役をすべきだと考える。もちろん、庇を貸して母屋をとられるようなことになってはいけない。
・根っこは、部落解放同盟が支えていることに変わりはない。
・社会変革に伴って運動も革新する必要がある。例えば、隣保館については公設置公営を原則としてきたが、民間委託の流れを放っておいたら、どこかの団体に委託ということも起こりかねない。歯止めをかけて運営に乗り出すためには、社会的起業にチャレンジすべきだ。
・危惧されていることはわかるが、このままでは、逆に安楽死し、死に体になる。
運動体としての矜持を保つべき
運動と組織の現状についての「危機感」は、重なるところがあるが、どうすべきかということについては、水と油で、交わるところは少ない。部落解放同盟とは何か?どうあるべきか?という根本のところですれ違っている。部落問題を解決し、部落差別からの解放を実現するという目的は共有されているが、どのようにしてそこに至るのかという基本的なありようがずれている。
部落解放同盟は、差別と闘う運動団体としての姿を部落内外に示すことで、信頼と信用を築いてきたわけだが、そのことを脇において、起業家として事業をおこし、それによって部落問題を解決すると言う。組織と運動が年々、先細りになっていっているのは誰もが実感しているが、それに歯止めをかけるために、差別との闘いをないがしろにするのは間違っている。仮に、起業や事業が必要であるなら、解放同盟が乗り出すのではなく、NPOや法人がやればいいのであり、「運動と事業」とはきちんと分離するというこれまでの方針を守るべきだ。「運動と事業の一体化」と「部落解放運動による自主事業の創造」は、越えてはいけない一線を越えるものであり、行き着く先は解放同盟の事業団体化だ。
最後まで残って私の意見を聞いてくれた人は200人足らずだが、その人たちがどのように受けとめてくれたのかは知る由もない。シャンシャンと何事もなかったかのように採決され、原案が承認されていくさまを見ると、無力感を抱かざるを得ないが、これは終わりではなく、始まりだ。賽は投げられたが、果たしてどんな目が出るのかは、これからにかかってくるのだから。
改めて思うこと
どんな組織であれ、時間の経過ともに、当初の瑞々しさが色あせ、惰性や倦怠にとりつかれ、保守的となっていくのは避けがたい。それはある意味、宿命的なものでもあるが、そうであればこそその逆も成り立つ。つまり、そうしたありようを予見し、先手を打ち、革新を図るということだ。社会的に存在意義のある有用な組織は、幾度もの危機を乗り越える力を、自らの内に創り出し、再生・脱皮を重ねることができるからこそ、長年に亘って存続しうるのだろう。
部落解放同盟も社会運動団体としては、歴史と伝統のあるいわゆる「老舗」で、「全国水平社」の創立から90年が経過し、その組織と運動は、「部落解放全国委員会」を経て、「部落解放同盟」に継承され、今日に至っている。その目的はただ一つ、部落差別からの解放、部落問題の解決であり、いわゆる人間存在の基底をなす自由と平等の実現、人権の確立という崇高なものだ。その運動は、日本社会の暗部を照らし、様々な矛盾を明るみに出すとともに、人々の無知蒙昧を撃ち、人権意識の覚醒を促し、人間とは何かを常に問いかけてきた。
もちろん、理念や目的がいかに崇高であったとしても、現実社会に生起する矛盾から自由ではあり得ず、さまざまな誘惑が部落解放運動を襲い、時には呑み込まれることも避けがたい。問題は、そこにおいて自己規律と自浄力とが機能するかどうかにある。記憶に新しいところでは、「飛鳥会事件」を思い出すが、すでにこの事件について語られることはなくなったし、人々の記憶からも消えつつある。それが、真摯な総括と反省の結果であればいいが、喉元過ぎれば熱さ忘れるの類いであるのならば、看過できない。一部の不届き者が起こした不祥事であったとしても、運動と組織が生み出したものであることは自明で、それをトカゲのシッポ切りのごときの対応で切り抜けるのであれば、組織と運動はその内に毒を取り込むことになるだろう。
こんなことを言うのは、この度の「改革案」を見ると、「飛鳥会事件」の教訓はどこにいったのかと思わざるを得ないからだ。例えば、「運動と事業との一体化」と言うが、これは「禁じ手」を臆面もなく言い放つもので、それこそ開いた口がふさがらない。同和対策事業がらみの「不祥事」や「利権問題」に痛い思いをしてきたことを見れば、こんなセリフが口をついて出るはずはない。そこに見えているのは、組織の維持・存続のためなら、手段は選ばないという無規律・無軌道ぶりだ。問題の立て方を間違うと、当たり前のことだが、正解には行き着かない。組織と運動が危機に瀕しているから、カンフル剤を打つというのも対応策の一つではあるが、それによって一時的に持ち直すことがあったとしても、逆に取り返しのつかないダメージを残す場合もある。だから、即効性のある劇薬は魅力的だが、決して手を出すべきではない。日頃の生活のありようを見直し、基礎体力をつけることを重視すべきだ。
運動体が事業に手を出して成果をあげた例など聞いたことがない。それを大阪府連あげてやるというのだから、もう何をかいわんやである。仮にそれがうまくいき、財をなし、それで人材が確保できたとして、部落解放運動の、部落問題の何が、どうなるというのだろうか。組織と財政は年々歳々、悪化の一途を辿っていることは周知のことで、それを断ちきる魔法の杖や打ち出の小槌があればと思わなくはない。しかし、甘い蜜には毒があるように、そうした誘惑に落ちずに、運動体としての矜持を貫くことのほうがはるかに大事なことではないか。今日あるのは、頑固なまでに清廉潔白を通した結果、貧窮の内に若くして命をなくしていった先人のおかげであることを思えば、その志をこそ受け継ぐべきだ。
もう一つの問題は、こうしたありようについて、誰も口を開かないことだ。例えば、今回の役員選挙では全員が信任されたが、8名が新任(うち執行委員は5名)だ。選挙公報に「豊富」なり「決意」くらいはあってもいいはずだが、簡単な経歴しかなく、これだけで新任・不信任を問われても、判断がつきかねるのは当たり前だろう。役員として何をしたいのかも含め、どんな問題意識をもっているのかということが全くわからないままだ。また、私が分散会や全体討論で方針案に対して「反対意見」を述べても、執行部から一定のコメントはあるが、基本的に言いっ放し・聞きっ放しに終わる。議論が交わされないままに「合意」が成立していくさまは、大政翼賛と言わざるを得ず、それをよしとしている限り、組織と運動の危機は去ることはないだろう。
危機はそこここに口を開けているが、それを正視し、そこに手を突っ込むことは誰もしない。見て見ぬふりをして、よけて通るのだ。あげく、荒唐無稽な方針が無責任なままに承認されるはめになるが、実のところ、誰も真剣にそれを実行しようなどとは考えていない。自分に役割が回ってきて初めて事態の重大さに気づくことになるが、そのときには退くことはできず、ズブズブと深みにはまり、負のスパイラルに取り込まれていくしかない。
だから、本当の危機は、組織人員の減少や財源の枯渇にあるのではなく、部落問題や部落解放運動のありようについて、人々が無関心になり、見向きもしなくなることにこそある。そして、大会での議論がそうした流れを加速するのであったのか、押しとどめるものであったのかと言えば、限りなく前者であったと思う。もちろん、こうした状況は、私の足元でも静かに進行している。だから、ジブンゴトなのだ。「物言えば唇寒し秋の風」ということもなくはないが、やはり、言うことからしか事は始まらない。そう、思い定めてもう何年にもなり、「疲れ」もたまっているが、それでもあきらめることはできない。
今大会の意義と任務
1 第59回大阪府連大会の意義と任務
(1)大阪府水平社90周年を迎えるにあたって―大阪府連の任務と役割
①社会的な排除・忌避・孤立の克服~東日本大震災をふまえて(略)
②全国水平社100年をみすえ部落解放の展望を切りひらく組織に
90年の長きにわたる部落解放運動の営みを経てもなお、部落差別を撤廃できないのは何故なのか。改めて10年後の2022年の水平社創立100年までに、部落解放をどのように実現するのか、特措法なき時代の部落解放運動のあり方、今日的な組織の形態のあり方等、明確に見直す必要があります。全水90周年を単純な原点回帰でなく、昨年の府連大会の全体会でも支部代議員から提案されていたように、名称変更も見据えた組織の大改革が必要です。部落内外の社会的連帯と地域間交流、運動と事業の競合による社会的起業の展開、社会からドロップアウトしても再び社会に参加できるような自立支援の仕組みを作り、忌避や排除・孤立といった問題に取り組み、雇用や社会保障に不安を抱えている人たちに、夢をもって社会に挑戦できる仕組みを部落解放運動としてどう作っていくのか、単なるかけ声倒れではない大胆な方針の打ち出し、待ったなしの実践が求められています。
2 2012年度(第59期)の4大重点課題
(1)組織・財政改革の断行
①総合的な部落解放運動論の策定
1998年、大阪府連は法期限後の運動を見据え「部落解放運動には夢がある~第3期部落解放運動論の提案」を発表して以降、14年を迎えようとしています。この間の変化をふまえ水平社100年をにらみ今後の部落解放運動の方向性や次代を担うオール大阪での人材育成のあり方等、総合的な部落解放運動論の策定は喫緊の課題です。そのため書記長を事務局長としたプロジェクトチームを編成するとともに、3~4月にかけて集中的に連続講座を企画し、各支部にも参加を呼びかけ、部落問題や人権問題に造詣の深い内外の活動家・研究者に提言をいただき、議論を深めます。そして年内のしかるべき時期に運動論をまとめ、来年の大会にはその運動論にもとづいた運動方針案の作成、機構改革や予算編成に取り組みます。
②部落に居住するすべての人たちを対象にした総合的な運動の展開を
かつて1989年には約3万7000人に及ぶ同盟員が2011年で約8000人となり、この20年間で約2万8000人もの同盟員が減少している現実に私たちは直面しています。かつての同盟員数は「特別措置法」時代のバブル現象だったのか、改めて考えさせられます。同盟員は減少していますが、「部落の居住者数は基本的には減っていない」という実態をふまえ、地域の部落住民に常に部落解放運動の息吹を吹きかけ続けていくことが大切です。支部員だけを対象とする運動形態ではなく、また「支部員が増えた、減った」という現実に一喜一憂するのではなく、被差別部落住民全体を対象にした部落解放運動の給合的展開が求められています。そのような運動を展開していくための組織・財政形態への転換が迫られて
います。
③連帯分担金制度の導入
この間、各地域においては社会福祉法人やまちづくり、教育等、様々なNPOが設立される等、地区住民のみならず、周辺エリアの人たちも参加した部落解放運動の梶野が確実に広がってきています。
このような運動の広がりをふまえ、地域をあげた総合的な部落解放運動を創造していける組織・財政形態への転換をはかるため、府連は支部との契約にもとづき連帯分担金制度を導入していきます。
現在、府連は同盟員数にあわせて支部から府連に同盟費等を納入してもらう方式をとっていますが、各支部の力量を同盟員数のみではかる方式を改め、支部・地域の総合力の力量に応じて府連を支えてもらう方式に改革していきます。
(2)社会的起業の創設・挑戦
①「運動と事業の統合」~事業手法で部落問題を解決していく
「運動と事業の一体化」「部落解放運動による自主事業の創造」を行い、部落により鮮明に現れる社会問題を広範なNPOや民間の株式会社、社会福祉法人等の総合力でもって解決していくことに挑戦します。運動部や各支部、HRCビルに入居している各関係団体等とも連携をとりながら、まちづくりコンサルティング事業、公営住宅管理事業、オール大阪における社会福祉事業、教育支援事業、人権人材派遣NPOの積極活用をめざします。現在、個々には検討をすでに始めていますが、府連のネットワークカ・稔合力をもって企画し創設していくために、府連自主事業・社会的起業創設チーム(仮称)を設置し、各々当面3年計画ぐらいで本格実施できるよう、その具体化を図っていきます