黒岩さんに出会ったのは「パンとペン」で、すでに亡くなられていた。ご存命ならば、ぜひ話を聴く機会を持ちたいと思ったほど、想いを深くした。それで、読んだのが本書で、単行本未収録のエッセイが集められている。
その経緯について、編集者が書いている。
「デビュー作『音のない記憶 ろうあの天才写真家井上孝治の生涯』から、当時の最新作『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』までの著作をふり返りつつ、“歴史”と向き合うことの面白味を全50回の構想で綴られる予定だったこの連載は、病室にパソコンを持ちこんでまで執筆されながらも、11回目の途中で、やむなく中断されました(翌2011年、西日本新聞に掲載)。ご遺族の協力をいただき、デビュー以来の文章をコンセプトのもとに編成した本書は、既刊とも一味違うエッセイ集となりました。」
登場する人物は、ほとんど無名に近く、私も初めて知った。
まずは、井上孝治(いのうえ こうじ 1919〜1993年 写真家 福岡市生まれ)。3歳の時事故で聴力と言葉を失い、一級障害者の認定を受ける。戦前より写真を撮り始め各種コンテスト入選。89年岩田屋デパートのキャンペーンに写真が採用され、同年福岡市で写真展を開催。90年パリ写真月間に出品。93年アルル国際写真フェスティバルに招待され、アルル名誉市民賞を受賞。写真集に「想い出の街」「あの頃」「こどものいた街」「音のない記憶」がある。
そして、禁衛府(キンエフ)の鳩通信に絡んで登場するのは、何と「フォークの神様・岡林信康」だ。彼は「鳩が恋人」というくらい、中学のころから鳩に熱中し、今はドイツ鳩のめりこんでいると言う。今年の4月、豊中(服部)でのライブではそんな話はなかったが、父親のふるさとが新潟県の根知ということを聞いた。たまたま旅の途中、その根知を電車で通過し、「ああ、ここが・・・」と思った。奇遇とはこういうことなのだ。
さらには、村井 弦斎(むらい げんさい 1864~1927年)は、愛知県豊橋市出身の明治・大正時代のジャーナリスト。諱(いみな=おくりな)は寛(ゆたか)。
池辺 三山(いけべ さんざん、1864~1912年は、明治期日本のジャーナリスト。本名は吉太郎、字は任道、諱は重遠、別号に鉄崑崙、無字庵主人、木生など。日本のジャーナリストの先駆けといわれる。
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871~1908年)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。
管野 スガ(かんの すが 1881年~1911年)は、明治時代の新聞記者・著作家・婦人運動家・社会主義運動家であり、幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人で、大逆罪で死刑を執行された唯一の女性でもある。号は幽月。
著者は書いている。
「こうして百年後からふり返ってみると、信じられないほど、生々しいエ ピソードばかりである。戦争と新聞、政治とジャーナリズム、大衆の欲望とそれを煽動するメディア。現在にも通じるこれらの原型は、すべて百年前のこの時点で胚胎していたのだ、と痛感せずにはいられなかった。そして、歴史におけるターニング・ポ イントとは、その時代を生きた人間には自覚されず、こうして一世紀の時を隔てて初めて明確に見えてくる、ということも……。」
なるほど、だと思う。出来事はその場限りの一過性だが、何がその後の歴史にとって決定的というか、大きな影響をもたらしたのか、そして、それを担った人物は誰なのか、といったことは、その場面・その時には判然とはしない。100年という時間を経て見えてくるものがあるというのは、歴史を振り返れば「なるほど」とうなずけるものがある。そしてそれら歴史の表舞台に出てくる者だけではなく、名もなき、埋もれた人々こそが大きな役割を果たしていることもわかる。
100年前(1916年)、何があり、その今日的意味はどうなのか、改めて問わねばと思う。