「フォークの神様」として一世を風靡した、あの岡林信康が豊中に、しかも町内会ともいえる近所にとあらば捨て置けない。10日の日曜日、近いからと開場間際に歩いて出かけた。踏切の向こう側には何だかそれらしい人たちが駅からゾロゾロと歩いている。これはやばい!速足で会場に向かう。
階段を上がると、そこはすでに人で埋まっているではないか。開演30分前というのに、さすがにみなさん、すごい。前方に空きはないようで、仕方なく後方に座る。すると、スタッフの方が「
前の壁の横であれば空いています」と触れ回る。ならばと、前に行くと、一段低くなっていて少しつらいが、いわゆる「かぶりつきの席」が空いていた。ラッキーとはこのことだ。迷うことなくゲット。
3時きっかりに、ギター一本のアコースティック・ライブがスタート。「山谷ブルース」「流れ者」「俺らいちぬけた」「チューリップのアップリケ」「26ばんめの秋」「君に捧げるラブソング」「さよならひとつ」「山辺に向かいて」「虹の舟」唄など、デビューから現在までの選りすぐりの曲を2時間聴かせてくれた。相変わらず声は聞き惚れるほどいい。それにもまして、つなぎの「話」が秀逸だ。下手な話は興ざめで、歌も台無しになるが、話芸もここまで極めれば、怖いものなしだろう。
1946年7月22日生まれだから、御年70歳にならんとしているが、まだまだ若く、円熟し、佳境にさしかかりつつあるように感じた。老いて益々盛んというところか。アコースティックは「原点回帰」とも言えそうだが、本当に歌いたい歌を聴きたい人に伝えるには、仕掛けはシンプルな方がいいとも言える。もちろん、それを過不足なくやりきるためには、歌唱も演奏も話も相応のものが必要であることは言うまでもない。
この日のライブは、言うなれば岡林信康の人生とその歌がセットになっていた。何ゆえに歌人になり、それを捨て、また戻ってきたのか。短い時間にそれが凝縮されていた。それに、70代を中心とする客がすし詰め状態で埋まった会場は、尋常ではない雰囲気が醸し出され、呼応の関係が成立していた。だから、その意味では、岡林信康のエンディングに向かう一里塚と呼べるライブかもしれないなあと思ったりもした。
やはり、生はいい。これに尽きる。
チューリップのアップリケ
うちがなんぼ早よ起きても
お父ちゃんはもう靴とんとん叩いてはる
あんまりうちの事かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん何処へ行ってしもたのん
うちの服を早よ持って来てか
前は学校へそっと会いに来てくれたのに
もうお爺ちゃんが死んださかいに
誰もお母ちゃん怒らはらへんで
早よう帰って来てかスカートが欲しいさかいに
チューリップのアップリケ着いたスカート持って来て
お父さんも時々買うてくれはるけど
うちやっぱりお母ちゃんに買うてほしい
うちやっぱりお母ちゃんに買うてほしい
うちのお父ちゃん暗いうちから遅うまで
毎日靴をとんとん叩いてはる
あんな一生懸命働いてはるのに
何でうちの家いつもお金がないんやろ
みんな貧乏がみんな貧乏が悪いんや
そやでお母ちゃん家を出て行かはった
お爺ちゃんにお金の事でいつも大きな声で怒られてはったもん
みんな貧乏のせいやお母ちゃんちっとも悪うない
チューリップのアップリケ着いたスカート持って来て
お父ちゃんも時々買うてくれはるけど
うちやっぱりお母ちゃんに買うてほしい
うちやっぱりお母ちゃんに買うてほしい