年に一度の全国大会がはじまる。とはいっても、高揚感はない。なぜか?言うまでもなく、部落解放同盟の組織とその運動の社会的影響力が薄れてきているからだ。だから、社会的な注目は集まらない。もちろん、大会はそうしたことが目的ではないが、昔日の面影の一端を知る者にとってはさみしい。
水平社同人たちが追い求めた「佳き日」は未だ到来せず、部落差別が執拗に生きている現実がある。であるならば、そのことをしっかり見つめ、どう立ち向かうのか、それをアピールすることは大事なことだろう。そこにこそ部落解放同盟の存在意義があるといってもいいかもしれない。だが、それもなかなかに難しいことだ。いったんしぼんだ風船を膨らます仕儀にも似て、おいそれとはいかない。まさに苦渋と苦衷の中にあるのだ。
唯一の光明とも言うべきものは、やはり「狭山闘争」しかないのだろう。半世紀余の闘いの歴史はなにものにも代えがたい財産となっている。そして今、大きな山場にさしかかってもいる。冤罪・狭山事件の再審をかちとる、ここにこそ力を、世論を集める、そんな運動を軸にすえるべきだろう。ありきたりではない、性根を入れた狭山闘争をどう提起するか、ここに期待したいものだ。