エチオピアと言えば、裸足のマラソンランナー・アベベ、首都はアディスアベバ、ハイレセラシエ皇帝、それに飢餓問題・・・。
エチオピア(エチオピア連邦民主共和国)は、80以上の民族からなる多民族国家で、民族ごとに構成される9つの州と2つの自治区からなる連邦制(1995年に導入)をとっている。カファ地方には、14世紀中頃から1897年までカファ王国があり、アラビア半島との紅海交易において貴重な商品とされたコーヒー、麝香(ジャコウ)、象牙などの産地、奴隷の供給地として栄えた。そのうちの一つである「南部諸民族州」カファ地方は、野生種が自生する「コーヒー発祥の地」として知られている。
マンジョはカファ地方を中心に広範囲に居住し、同一地域内に暮らす住民(カファ)と同じ言語を用い共住している。だが、マンジョはかつて狩猟を主な生業とし、カフアとは異なるアイデンティティを有し、差異化されている。マンジョは日常生活においてカファから挨拶、共食、家への立ち入り、カファが経営する店への入店とそこでの飲食、通婚などを忌避されている。
21世紀になって、議会で差別改善の方策が提起されたり、政府によるアファーマティブ・アクションや、NGOをはじめとする支援機関の取り組みが行われるようになったが、逆差別との反発も出てきている。
吉田さんは、カファとマンジョを対象として2004年から10年、約30ヶ月・10回の現地調査を行い、カファとマンジョをめぐる関係誌「誰が差別をつくるのか」を書き上げた。その中で、「今日、差別は、すべての人間にとって保障されるべき基本的人権を侵害する問題であり、国家のみならず、国際機関やNGOをはじめとした支援機関がその解決に尽力している。ただ、『差別』という言葉がとらえる現実と、日々の生活における現実は、同一のものなのだろうか。私たちが差別を語ることによって、『差別』という現実が生み出されてはいないだろうか。このことについて、エチオピアにおけるふたつの集団関係をもとに考えていきたい。」
「カファとマンジョの関係を、全て差別とみなすことも妥当ではない。カファとマンジョの間での慣習的な忌避は、現在もカファ社会の日常生活のなかに埋め込まれ、身体化されているからである。ただし、何を忌避とみなし、何を差別とみなすのか、その線引きは極めて難しい。」と書いている。
差別とは何で、どのようにして、誰がつくるのか?カファ王国時代から現在までおよそ100年の歴史から浮かび上がるものにその答えの一端があるのでは・・・。きっと好奇心を刺激する話にワクワクするはず。