1961年 3月 事件発生
1961年 4月 奥西勝死刑囚逮捕
1964年12月 津地裁で無罪判決、釈放
1969年 9月 名古屋高裁で死刑判決、収監
1972年 6月 最高裁で上告棄却、死刑確定
1973年 4月 名古屋高裁に第1次再審請求
1977年 3月 第4次再審請求棄却
1977年 5月 第5次再審請求。日弁連人権擁護委が支援開始
1987年12月 事件現場の公民館取り壊し
1991年 2月 奥西死刑囚支援の全国ネット結成
1997年 1月 第6次再審請求
2002年 4月 第7次再審請求
2005年 4月 名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)が再審開始を決定(死刑執行停止の仮処分)
2006年12月 名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)が再審決定を取り消す(死刑執行停止も取り消す)
2007年 1月 最高裁に特別抗告
2010年 4月 最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻す
2012年 5月 名古屋高裁(下山保男裁判長)が検察側の異議申立てを認めて再審開始の取り消しを決定。
2012年 5月 弁護団が最高裁へ特別抗告
2013年10月 高裁判所第1小法廷(桜井龍子裁判長)が古屋高等裁判所の再審取り消し決定を支持し、第7次再審請求にかかる特別抗告棄却決定
2013年11月 弁護団が名古屋高裁へ第8次再審請求
2014年 5月 名古屋高裁が第8次再審請求棄却
2015年 5月 弁護団が名古屋高裁へ第9次再審請求
2005年4月の再審決定が2006年12月に覆されたことが大きな分岐点になっていることがわかる。もし、そのまま再審開始決定が維持されていれば、再審が開始されていたであろう。その再審開始決定を取り消し、奥西さんを死刑囚に留め置く決定をしたのは、あの門野博元裁判長だ。狭山事件では今日の証拠開示への道を開く判断をした門野元裁判長だが、名張事件では再審を封ずる判断をしたのだ。
同じ裁判官が、まさか!と思うような相反する判断をする。それが裁判だと言ってしまえばそれまでだが、何とも腑に落ちない。冤罪事件が取りざたされると、新聞紙上に彼のコメントが載ることが多かったが、果たして、奥西さんの獄中死を聞いて、どのような感慨を持ったのだろう。聞いてみたいものだ。
それにしても43年間もの間、死刑囚として収監しつつ、無実の声に応えることなく、真実を闇の世界に葬り去ることだけを使命としてきたやに思える国家権力の残虐性はどうだ!今、彼らは一抹の安堵に浸っているかもしれない。いわば、手を下すことなく、合法的に死刑を執行したともいえる。決して許してはならない。