橋下氏がツィートしている。
「新聞・テレビのどの報道見ても、的確なコメント、解説は全くないな。これだけのことをやるのに思い付きでやるか、バカ。普通の解説者が解説できるくらいのことをやっていて、こんな政治ができるか。誰もが想像できないことをやるのがトップの役割だ。解説者が解説できることをやるなら俺は不要。」と。
(22:34 - 2015年8月30日)
いつものことながら口汚く、罵り、自分と相手との対比を描き出す手法だ。自分が崇め奉られなければ気が済まないタイプの人間であることを自ら公言しているのだが、これに喝采を送ったり、うっぷん晴らしのネタにしたりする人が少なくないのが不思議だ。しかし、彼はそうした人たちに敬意の欠片を持ち合わせていはしない。単なるコマとしか見ていない。冷笑・蔑みの眼差しを送るのみだ。何やらサド・マゾの世界に通じるものがあるような気もしてくる。
ところで、「誰もが想像できないことをやるのがトップの役割だ」というフレーズには惹かれるところがある。さまざまな問題・事態を前にして、打開策を提示し、いかに道を切り拓いていくか、これはリーダーに求められる資質でもあるだろう。もちろん、提案は議論に付され、合意形成が図られ、全体で共有化されるべきことは言うまでもない。しかし、彼は独断専横ですべてを進めるのがトップの役割だと思っている。これは、まさしく独裁で、民主主義とは無縁だ。
そして、議論に付された結果、提案が方針化されず、立ち消えになることもある。その結果、事態はさらに混迷を深めることになるやもしれない。そこにおいて大切なことは、権力的な対応に出るのではなく、違った角度から新たな提案をしたり、ネックになっていることを解きほぐす作業を手間ひまかけてすることだろう。彼は、それがたまらなく嫌なのだと思う。だから、やはり、「豹変」は、独裁者の常なのだ。