今日は「3.11」。東日本大震災から4年であり、狭山事件の第1審(浦和地裁:内田裁判長)で「死刑判決」が出された日でもあり、気分が重くなる。
狭山事件は、証拠物リストの開示があり、前途に明かりが見える気配もあるが、油断は決してできない。これまで幾度も煮え湯を飲まされてきたからだ。いつでもそうだが、ボールは常に彼らの手の中にあり、それをいつ・どこに投げるのかは、皆目わからない。それこそ、ある日突然に事態が変わるのだ。だから、できることは、こちらに向かってストライクを投げさせるように仕向けることだ。いや、そうせざるを得ない状況を創り出すことだ。今、半世紀余の闘いのありようが問われる事態が、刻々と近づいている。
以下に転載したのは、4年前に支部機関紙「解放」で報じた第一報だ。この4年、何度か被災地を歩いた記憶を思い起こしながら、このとき感じたこと、考えたことを忘れずに刻み直さねばと改めて思う。