●読売新聞(1月9日)夕刊より
同じ名古屋高裁での「審理」だけに、厳しいことは予想されていたが、これは「門前払い」といっていい。はなから、まともに「審理」する気はなく、結論ありきで臨んでいたとのだろう。裁判所としてあるまじき姿だと言わねばならない。
これは昨今、相次いで「再審」を封ずる決定が相次いでいることと符号するもので、検察・裁判所が一体となって、その挙に出てきていることがうかがわれる。もちろん、これは「狭山」にも連動している。彼らの「その気」をどう食い破るのか、とくと考えねばならないと思う。