●「解放新聞」第2696号(12月22日)より
ネクタイをめぐるエピソード、幼馴染の隣のショウちゃんとの思い出、「仮出獄」にまつわるあれこれ、サッちゃんとの出会いなど、「裏話」満載のインタビューが掲載された本紙は、久々のヒットといっていい。これも映画「SAYAMA」の波及効果か?
で、20年前に想いをめぐらす。
「無期懲役」判決が確定し、一雄さんは千葉刑務所に移送された(1977年9月8日)。そして、1979年5月23日に豊中から千葉刑務所に向かい一雄さんとの面会&所長交渉を行った。また、1980年10月31日には、法務省との交渉(仮出獄)も行った。一雄さんとの接点を求めるとともに、批判にさらされた「仮出獄」を公然と掲げて行動した。
それが寄与したかどうかはわからないが、1994年12月21日に一雄さんが「こちら側」に帰ってきた。万感の想いだった。私は新聞に投書をしたが、それが翌1月に掲載された。それから20年になるが、事態は大きく動いてきたことは間違いない。しかし、所期の目的にはいまだ届かず、歯噛みをする時間が続いている。
「取り返しのつかない時を奪われた石川さんの声に耳を傾け、事実を明らかにする責務を裁判所は果たすべきだと思います」と、20年前に書いたが、この仕事は果たされないまま、今も残されたままだ。この間、幾人もの裁判官がそれを果たすことなく逃げ去っていったが、河合健司裁判長をはじめとする第4刑事部の裁判官たちが、この負の歴史にピリオドを打ち、不正義を糺し、真実と向きあう決断をすることを強く期待したい。