「東電OL殺害事件」の第1審で無罪となったマイナリさんに対して、検察は勾留請求を繰り返した。最初に審理した第5特別部の木谷裁判長は、請求を認めなかったが、第4刑事部の高木俊夫裁判長は認めた。それについて、「無罪を見抜く」には、こう書かれている。
本人を帰してしまったら有罪判決をしても意味がなくなるということに、ちょっととらわれすぎたのではないかと思います。勾留して身柄を確保しておかないと意味がなくなってしまうと思うと、有罪無罪に関係なく、ともかく一旦勾留するということになりやすい。だけど、勾留してしまうと、どうしたって自分のその判断にとらわれてしまいます。無罪判決をすれば、前にした自分の勾留裁判が間違ったのだ、ということになってしまう。そうすると、最初にそういう決定をしてしまったということが大きな足かせになります。それはやっぱり良くなかったのではないか、というふうに思います。さっき言ったように、無罪判決があった時は勾留が失効するとしている刑訴法の規定を、もっと尊重するべきではなかったのではないかと考えます。
私は高木さんと、最高裁の調査官当時、隣の席に座っていて、一緒に山登りも楽しんだりした間柄で、個人的にはとっても仲が良かったのです。日頃から親密に付き合っていました。だけど、やっぱり考え方は違うんですね。この時の右陪席だった飯田喜信君(現・東京高裁部総括)が、高木さんの一同忌の時に書いた追悼文があります。この文章に私が出てくる。高木さんは私のことを悪く言っていません。私に関して「友情」とか、「敬愛の念」を抱いたと書いてあります。だから、私は個人的に悪く言うつもりは全然ないんですけど、高木さんは、やっぱり検事の主張に引きずられすぎたと思います。
※なんと、二人は最高裁調査官として席を並べていたのだ。それが巡り巡って、東電OL殺害事件で正反対の判断をするに至ったのだ。同じ事案でも、裁く者によって正反対の結果になるのだから、裁判というものは恐ろしい。