「手ぬぐい」に関する「新証拠」、捜査書類の「改ざん」の発見、久々の「記者会見」、そして、新しい「映画」の完成と、39回目の「10.31」を前にして「好材料」が出そろった。しかし、15回目の三者協議は「進展」がなく、1月に持ち越しとなり、3000人が集まった市民集会も「埼玉新聞」以外のメディアは「黙殺」という厳しい結果になった。
このたびの「10.31」、私は現場にいなかったし、その空気を間近に感じてもおらず、大阪から見やった立場だが、このままでは先の展望は拓けないのではと思っている。その理由はいくつかあるが、それはこれまで機会あるごとに発言し、ブログでも書いてきたことだけれど、改めてここに記したい。
一つは、やはり「情報発信力」が決定的に不十分だということだ。「狭山事件」について、どんな媒体での情報発信があるか?①部落解放同盟の「解放新聞」とHP、②石川早智子さんのHP、③「市民の会」のHPが、いわば「公的」なものだが、②以外は、まともな情報発信はしていない。あとは、個別の団体・組織、個人のHPやブログ、FBなどだが、それらの情報源も限定され、不十分だ。
支援運動の核になっているのは名実ともに解放同盟だが、そこからの情報発信が形式的で、具体性を欠いていること、そして、弁護団の動きがほとんど表に出て来ないこと、この2点が致命的だと思う。ここをどうにかしないと、支援運動は空回りしてしまうのではと危惧する。両者には是非とも情報発信の大切さを再認識していただき、抜本的な強化策を講じてもらいたい。
二つ目は、メディア対策だ。なぜ、狭山はとりあげられないのか?メディアを詰っても仕方がない。こちら側からアプローチするしかない。弁護団は丁寧に情報提供をしていると思うが、その「成果」が表れていないことは現実が示している。だから、理解者を得るために、さらなる工夫をすべきだろう。もちろん、それは私たち支援者に対してもだ。
三つ目は、第3次で再審をかちとるために何が必要で、それぞれがどうすべきか?について、開かれた議論を興すことだ。石川一雄さんと早智子さん、弁護団、解放同盟、市民の会、支援者など、それぞれの動きがあるが、それらはまとまりがあるのだろうか。もちろん、まとまらなくてもいいのだが、せめてお互いの状況認識や当面の課題などについては、摺合せが必要だろう。てんでバラバラでは、ダメだからだ。その意味では、現状はそんな事態になっているような気が私はする。
この間、FBを通じて何人かにそうした意見を伝えたが、同じように考えていることがわかり、少なからぬ人が、そうした思いを持っているのではと勝手に推測している。これを読まれた方はどう思われるか、ぜひコメントを寄せていただきたい。