歴史や伝統というものは、単にそれを受け継いで、繰り返すのではなく、その時々の時代や状況をふまえ、新しいものを付け加えたり、変えていったりしなければ、カビがはえて腐ってしまいます。400年の伝統を誇る歌舞伎がすたれないのは、常に新しいものを取り入れ、内側から変えてきたからです。ユネスコの無形文化遺産をめざす「和食」も、新しい素材や調理法を取り入れ、斬新さを追求しています。目の付けどころをどこに置くか、それが大事だと思います。
豊中における部落解放運動90年の歴史と伝統も同じです。一人ひとりは、90年のうちの一部(数年~数十年)しか体験していませんし、今現在もつながっている人は、そう多くはありません。長い間やってきたことやそのスタイルを変えることには、抵抗と不安がつきものです。でも、それをしないまま、流れに身を任せていては、どこに行きつくかわかりません。目的地をめざすためには、しっかり舵をとって、進路を定めなければなりません。
ある意味で、私たちには責任があります。次の世代に歴史と伝統を引き継ぐという責任です。ここで、それを断ち切るわけにはいかないのです。名もなく、貧しく、美しく生きた無数の人々の屍の上に、私たちは立っていることを今一度かみしめ、次の世代に託す歴史を刻むことを決意したいと思います。
上記の文章は、今年の7月に開催した部落解放同盟豊中支部第47回定期大会の議案書「これからのとりくみ」の一節です。
さて、部落解放運動は、新しい層とつながり、スタイルを変え、生まれ変わることができるのでしょうか?どこに焦点を定めるべきか、いまだ悩ましい時間のさなかにあります。しかし、時間は刻々と過ぎていっています。いつまでもという訳にもいきません。ターニングポイント近しです。
同じ紙面には、一流ホテルのメニュー偽装事件が並び、際立った対照だ。いずれにせよ、顧客を欺いた罪は重く、てひどいしっぺ返しを受けるに違いない。そして、この問題はさらに広がるだろう。ひょっとしたら、他の領域にも・・・。