「阿弖流為」に凝っている。過日、枚方市の牧野公園に出向いた。ここは阿弖流為とその盟友・母禮の終焉の地で、その塚がある。京阪本線・牧野駅の改札を出て左の階段を上がる。
そのまま左に折れ、メインストリートらしき道を右に曲がり、道なりに歩く。
10分足らずで「牧野公園」の入り口に着く。
公園のかたわらにすぐにそれとわかる「塚」らしいものが見える、これだ。
きちんと説明文も書かれている。裏側には碑文も。
大きな木の根元のところには、お墓らしい石があり、花などが供えられている。
大和政権の大軍による度重なる侵略に対し、阿弖流為と母禮が率いる蝦夷の軍は、これらをことごとく撃退した。しかし、勝利は平和を呼ばず、新たな戦争の序曲となり、民が疲弊の度を極める中、二人はこの戦にピリオドを打つべく田村麻呂に「投降」する。京の都に引かれた二人は、田村麻呂が助命嘆願を試みるが、「野生獣心反覆無定」として容れられず、河内国で斬首される。802年9月17日のことだ。
蝦夷と言えば、大和政権にたてついた蛮族・異族との刷り込みがなされ、その名すら消されてきた。しかし、1991年に「アテルイを顕彰する会」が設立され、没後1200年の2002年にはシンポジウムや企画展などのさまざまなイベントが各地で開催され、阿弖流為は復権する。牧野公園の塚は20073月に建立されている。豊かな大地とそこに暮らす民と生き物を慈しみ、理不尽な王化に抗したアテルイらの精神とその軌跡に学ぶところは大きい。
この日は、台風の影響か風が少し強かったが、曇り空だったが、公園で写真を撮っていたら、雨模様になり、駅に帰り着く時には大雨になった。阿弖流為と母禮の悲しみと怒りの涙か、それとも彼らが歓迎してくれたうれし涙か。