有馬の念仏寺で沙羅の花と一絃琴の鑑賞会があった。今にも降りだしそうな梅雨空が、有馬に近づくにつれ、雨粒が電車の窓をよぎり、着いたときには、しとしと落ちてきた。住職の話によると、沙羅の花はこうした天候が似合うというから、得をしたと思えばいい。
沙羅は、ナツツバキとも言うが、これまた住職によれば、家々にあるものをナツツバキと言い、寺にあるものを沙羅と言うのだそうな。言いえて妙とはこのことだ。
法話のあとは、
一絃琴の演奏だ。
チラシには、「一絃琴は、一枚の板の上に一本の絃を張っただけの極めて簡単素朴な楽器で、板琴、一つ緒の琴と呼ばれることもあります。一絃琴の歴史は、一千百余年の昔(平安時代初期)、中納言、在原行平が勅勘を被って須磨の地に流されたとき、渚で拾った板切れに冠の緒を張って琴を作り、岸辺の葦の茎を爪にして、その琴を弾じながら、はるか都を偲び、自らの寂寥を慰めたのが始まりと伝えられています。 このため、古くから「須磨琴」と呼び慣らわされてきました。
江戸時代に河内国の高僧、覚峰律師によって復興され、名人真鍋豊平の活躍もあって、幕末から明治前半にかけては、高貴風雅な音楽として、文人墨客の間に愛好されていました。 しかし、その後、西洋音楽の流行に圧されて衰微の一途をたどり、戦後は、一絃琴を演奏できる人がほとんどいないという状態になってしまいました。しかし、現在では須磨琴保存会の努力により、1976年には兵庫県重要無形文化財の指定を受けるまでになっています。」とありました。
その音色は、シンプルで清楚、哀調を帯びたものだった。これを見て、ギターを買うことができなかったので、板をくりぬいて木綿糸を張って、ギター代わりにしたという、あのバタヤンのイター(板)を思い出した。
人間の知恵と想像力のすごさを思うとともに、人間の本質は藝術を産み出すことにあるのだと改めて知った。そして、その伝統が受け継がれていることに新たな発見をした。