以下は、「つうしん」31号に書いた一部だ。
チャンスをものにできず、変わりきれなかった私(たち)のありようの度しがたさは致命的だが、したたかに、しなやかに、しぶとく喰らいついていけば、きっと・・・
「50年」が各地で闘われ、鈍かったマスコミも一定反応し、世論の高まりを実感しつつあるなか、人々の視線は13回目の「三者協議」に向けられ、静かに、じっとその時を待っていた。そして、それは突然もたらされた。5月8日、まさに「50年」の渦中に行われていたのだ。しかし、今回も前にも後にも記者会見を行ったという情報は確認できない。法廷外の大衆運動と法廷内の弁護団活動とは、一体ないし、連携・連動しないと、冤罪事件を勝つことはできない。これは大方の人が納得するところだろう。これに照らせば、こうした事態はいびつだし、結果として、お互いの力を殺ぐことになるのではないだろうか。東京高裁と東京高検という、国家権力の牙城ともいうべきものを相手にして、こうした齟齬を露呈していては、付け込まれるだけだろう。
「50年」という歴史的な舞台で繰り広げられている渾身の闘いと、そのさなかに予定されていた13回目の三者協議とは、しっかりつながるべきことは論をまたない。まさに格好の場面がしつらえられていたのだ。それを一顧だにすることなく、粛々と日程をこなすありようには、深い失望を禁じ得ない。いかなる事情があるにせよ、こんなことを続けていては、せっかく吹きつつある風も止んでしまうかもしれない。杞憂に終わればいいが、あまりにもあまりだと思う。だが、こうしたありようについて、異論を唱える者は多くはない。いや、ほとんどの人は語らない。だから、同じことが繰り返されるのだろう。弁護団の「流儀」だからと済ましていいとも思わない。だから、言い続けるしかない。