市内の小学校の先生からの依頼で豊中の部落解放運動のあゆみと現状について話をする機会があった。それというのも、学校で「識字学級」のことをとりあげ、人権まちづくりセンターで行っている「よみかききょうしつ」の見学もするのだが、解放運動についても知っておくことが大事だからと、依頼された次第だ。
最初に話を聞いたときには、正直いって驚いた。というのは、今どきそんな話を聞きたいと言ってくる人はほとんどいないからだ。ひと昔前のように部落問題に光があたり、「同和」教育の実践がバンバンやられているわけではなく、どちらかといえば興味・関心が薄れ、後景化しいってるのが現実であるからだ。依頼者が私の子どものかつての担任ということを抜きにしても、こんな申し出は滅多にあるものではなく、喜んで引き受けた。
問題は、どんな話をしたらいいのかだが、「部落解放運動のこれまで・これから」ということで以下のような問題提起をした。
1.部落差別の現実(実態)を明らかにし、改善(解消)すること→これまでのふりかえり
2.部落問題の根っこをさがすこと→部落差別って何?
(1)なぜ部落(差別)ができたのか?_
(2)部落に対するマイナスイメージ
(3)差別意識をささえるもの
3.部落差別から解放されるために→どうしたらいいのか?
(1)部落問題の奥の深さを知る
(2)被差別のトラウマからぬけだすこと
1時間ほどかけて話したあと、1時間半ほど意見交換をした。私の話が彼女ら・彼らの問題意識と響き合うことができたのかどうか、これからの授業展開の何らかの足しになったのかどうかはわからない。が、9人の参加者もそれぞれに自分と部落問題との出会いや思っているところを率直に語ってくれたこと、固まらずにうち解けた雰囲気で話ができたことをみると、それなりに伝わったのではと思う。
いずれにしても、今日の部落問題学習には、基本的な知識・認識は不可欠だが、これといったモデルはないとみるべきだろう。乱暴な言い方をすれば、十人十色の部落問題学習がある。そして、他の人権課題に比して部落問題がフリーに論じられることは希で、タブー意識が根強くあるが、まずはその呪縛から自由になることが肝要だろう。
また、問題の解決のためには、部落差別の現実へのアプローチが様々な場で様々に展開されることが必要だ。その過程においてはマイナス現象も生起するかもしれないが、それはむしろ必然だと考えるべきだ。
9人の先生方の誠実さと意欲に期待したいと思う。