「とうとう」というか、「やっぱり」というか、大飯原発の再稼働が秒読みになった。安全性の確保を訴え、再稼働に反対していた「関西広域連合」の面々が、どういうわけか変心し、「限定的な再稼働」を認めるに至ったからだ。
政府や関電、経済界の「このままでは夏を乗り切れない」「計画停電だ」との脅しに屈した形で、多くの人たちの思いを裏切る暴挙だ。特に、声高に脱原発を叫んでいた橋下大阪市長の変わり身の早さにはあぜんとさせられる。思想も節操もないことはわかってはいたが、これほどのたわけとは・・・。
産経新聞によると、「菅直人前首相は28日午後の国会の東京電力福島原発事故調査委員会(国会事故調)で『(東電と電気事業連合会を中心とした)『原子力村』は今回の事故に対する深刻な反省もしないままに、原子力行政の実権をさらに握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た原子力村の組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して、解体することが原子力行政の抜本改革の第一歩だ』と主張した。」とある。
この発言は、あまりとりあげられていないようだが、ここにこそ、原発問題の本質があるように思う。戦前の軍部は、敗戦によって解体されたように、「原発村」は、「3.11」で死んだはずだ。しかし、軍部もその後、甦ったように、原子力村も死んだふりをしていただけだったことが判明した。
全原発停止に至ったのは、菅直人前首相の唯一の功績といってもいい。もし、彼でなければ、こうした事態には至っていなかったかもしれない。それだけに、彼の言葉は核心をついている。しかし、野田政権は、そうしたことを顧みずに、再稼働に向かって突っ走ってきた。安全と命を置き去りにしたままに。