今見ヨ、イツ見ルモ
別に秘密はない。
初めて「今見る」想いで見ることである。
うぶな心で受け取ることである。
これでものは鮮やかに眼の鏡に映る。
だから何時見るとも、今見る想いで見るならば、
何ものも姿をかくしはしない。
たとえ昨日見た品でも今日見なければならない。
眼と心を何時も新しく働かねば、
美しさはその真実の姿を現してはくれぬ。
何も美しさのことのみでない。
一切の真なるものは、今見る時にのみ、
残りなく、その姿を現してくれる。
それは即今に見ることであり、
真に見ることは、その即今以外の出来事ではない
柳 宗悦「こころうた 心偈」より
目当ては、淺川伯教が手土産に持ってきた「染付秋草文面取壺」、それと「染付草花文壺」。順路に沿って進むと、ほどなくケースに入ったそれがあった。やはりというか、なんとなく際立つような印象を受けた。そして、その近くには、朝鮮で撮った淺川兄弟とのスリーショットの写真もあった。感動的だ。
展示をさらに進むと、柳が朝鮮から、台湾、アイヌ、琉球へも関心を広げ、収集をしたとある。それらは、いわゆる軍国主義の時代とも重なるが、文化や言語侵略に対して異議を唱えたと記述されていたことが、新鮮に響いた。淺川兄弟もそうだが、この時代にあって、そうした生き方をした人がいたことに改めて思いをはせた。