財団法人住吉隣保館設立50周年、故住田利雄さん生誕100年記念事業実行委員会から「忘れてはならない自主解放」という記念誌を送っていただいた。住吉での部落解放運動や隣保館の歴史、住田さんの歩みがまとめられているが、書名の「忘れてはならない自主解放」というのは、書も得意とされた住田さんは、毎年、正月には書き初めをされていたそうで、これは1983(昭和58)年の元旦に書かれたものだそうで、記念誌の冒頭で友永健三さんが以下のように書いている。
周知のように、1965(昭和40)年8月に内閣同和対策審議会答申が出され、1969(昭和44)年7月には、同和対策事業特別措置法が制定された。それ以降、住環境の改善、生活の向上、産業職業の安定、教育の向上等に向けて様々な特別の施策が実施されてきた。この結果、部落の実態は見違えるように改善されてきた。しかしながら、その一方で、これらの事業は部落差別を撤廃するための条件整備であって部落差別の撤廃のためには、これらの条件を活用し自らの教育力を高め、安定した職業を確保し、積極的に社会に参画し、民主社会の実現に貢献していくこと、即ち自主解放に向けた気概や、精神が忘れ去られてきたきらいがあった。これに警鐘を鳴らしたものがこの書だと思う。
「自主解放」、当たり前のことをそのままに言っているに過ぎないし、ことさらに新鮮味があるわけでも、特別に響く言葉でもないが、「忘れてはならない」言葉であることは間違いない。1983年と言えば、「特措法」の3年延長を経て、「地対財特法」ができた年で、「特措法」14年目にあたる。法失効はそれから19年後のことだ。1986年にお亡くなりになった住田さんは、その後の状況をどのような思いで見られたろうかとも思う。
「自主解放に向けた気概や、精神が忘れ去られてきたきらいがあった」と指摘をされているが、部落解放運動も早くから警鐘を鳴らし、法や事業依存を戒めてきた。しかし、部落解放運動の今を見やると、この言葉が痛切な響きを持って聞こえる。部落解放運動が目指した人づくりは、その途上において、目的を取り違え、道を踏み外してしまったのではとの苦い思いも消えない。