犯行現場の特定経過は
検察側は、犯行現場とされている場所でのルミノール反応検査報告書と8ミリフィルムは不見当という回答を繰りかえし、3月17日付の回答書を提出してきた。狭山署、県警本部、浦和地検と検察庁にある書類も調べたがなかった、という回答だ。だが、求められているのは、具体的にどういう捜査をして、どういう資料にもとづいて調査したのかだ。
たとえば、石川さんが単独自白し、犯行現場の自白をしたのは6月23日。それから、いま出てきているのは7月4日の実況見分調書、芋穴でのルミノール検査報告書だ。そうすると6月23日に自白して、7月4日までのあいだに実況見分をしなかったのかどうか。犯行現場にたいして、どういう捜査をして、どういうことで犯行現場と特定していったのか。そういった具体的な資料とか具体的な回答を求めた。
犯行現場のルミノール反応検査について、検察官は、前回の報告で犯行現場
とされている雑木林、ここはルミノール反応検査をしなかった可能性が高い、としてきた。その根拠として、死体解剖医師などへの電話による聞き取り、当時の担当検察官とのやりとりの調書を出してきた。死体を解剖した医師は石川さんの目白は変転しているから、信用性がないと思ったから現場のルミノール反応検査はなされていない、という回答だった。
そのさい、7月4日に直接、芋穴を検査した技師、その人物にも検察官は調査しているはずだから、その電話聞き取りの調書を出すべきだということを主張して、その関係のものが出されてきた。
昭和60年2月25日付の電話聴取と担当検事が技師に聞いた問い合わせ。その内容は、殺害現場とされた雑木林についてはルミノール検査をおこなった記憶がありません、という内容の電話聞き取り。ところが、その横に2人の検察宮の名前が書かれ、のちにやった、陰性だといっている、という走り書きがある。それが書面化されており、ルミノール実施の場所、松林、雑木林と、芋穴の2か所は検査をしたといっている。それから、検査結果報告書のようなものを作成した覚えはないと。
検査結果報告書を作成したかどうかについては、弁護人にたいしても同じようなことをいっている。作成した覚えはないと。ただ、本部員がその技師をして、検査させたが陰性だった、というような報告書は書いていると思うと。自分はもう記憶にないが、本部員はそういうふうに書いていると思う、という内容だ。これが出てきた。
それから、第2次再審段階でも、この犯行現場の問題で、担当検事が東京高検の公判部長にあてた書類が出てきた。この書類のなかでも、この技師に話を聞いて、雑木林の松数本の、根元から約1メートルの高さ、および根元の地面にルミノール試薬を噴霧した、と。そういうふうに答えている、と。それから、検査報告書は、書くように指示がなされなかったから書いていない、と。
こういう内容の3点を開示してきた。検察側は「ルミノール反応検査はしなかった可能性が高い」といっていたのが、したということまでいってきているから、非常に中身としては意味のある、今後大きな手がかりになっていくものが開示された。
事実調べが判断に必要
狭山の闘い、部落解放の問題、平和とか人権の問題と結びつけて、もっともっと大きな社会変革の運動と結び付けていくという視点、もっともっと大きな広がりと深みをもった運動を作って裁判所を追い詰めていくことが非常に大切と思っている。狭山は本当に動きだしてきた。がんばっていきたい。新証拠も積み重ねてきて、裁判所は開示勧告を出さざるをえなくなってきて、検察側もまだ証拠を隠しているが、追い詰められてきている。本当にこのまま事実調べをしないで、書面審理だけで判断していいのか、というところまできている。最後まで一緒にがんばっていきましょう。