空と足元から放水が始まったが、それによって、事態が落ち着くとは誰も思っていない。ほとんど、気休め、アリバイに過ぎず、事態はすでにコントロール可能の域をとっくに超えているような気がする。送電がうまくいっても、機器が動く保証もない。空からの映像はあっても、実際にどんな事態になっているのかは、確認のしようがない。可能性を捨てることはしてはならないが、危機が遠のいていることを確信する材料は何もない。今更ながら、こんな地震列島に幾多の原発をつくってしまった私たちの愚かさを痛感する。
仙台空港、仙山線、仙石線、松島、瑞巌寺、盛岡、いわて銀河鉄道、啄木記念館、八戸・・・
昨年5月に訪れたところだが、被害のニュースが報じられるたびに、生々しい記憶がよみがえり、複雑な気持ちになる。
原発を守ることではなく、何よりも人命第一・被災者の生活支援最優先をすべきだろう。しかし、首相や官房長官の会見からは、それが感じれない。事態の深刻さも未曾有であるのだから、対応も慎重ではなく、大胆にすべきだ。でないと、万一の事態には間に合わなくなる。