「再登録」に踏みきるべきか、否か?逡巡の果てに行き着いたのは、「清水の舞台から飛び降りる」心であったのかもしれない。このままでは野垂れ死に同様の事態が加速していくことは明らかだが、それを止める手だてはないことも確か、といったジレンマに引き裂かれつつあった。行くも地獄、止まるも地獄であるならば、行くことによって活路を開くことに賭けたと言える。
果たして、結果は予想を超える数値となり、安堵の胸をなで下ろすとともに、逆に責任の重さを痛感させられることとなった。店じまいに近い状態になれば、重圧から解放され、ある意味で大胆・自由になれたはずだからだ。だから、再登録率70%が意味するところは、その内実がどうあれ、とても重たいものを持っている。おいそれとは放り出せないよ、ということを強く示唆している。
それもこれも、「とよなか」の部落解放運動のこれまでの歩みが間違っていなかったことの証であることは間違いない。それどころか、人々はまだ組織と運動への信頼と愛着とを失っていないことを明らかにした。だから、その意思は尊く、これを重く受けとめねばならない。そして、これに応えるものを提示し、「豊中らしい、新しい運動」を共に創り出さねばならない。その意味では、仕掛けた者が仕掛けられたわけで、「逃げ」は許されなくなったといえる。
事態は、私たちにいくつかの「覚悟」を問うている。第1に、組織と運動を見捨てずに、これを再生・活性化すること。第2に、事業仕分けならぬ、運動の仕分けをやりきり、刷新・革新を断行すること。第3に、人とのつながりを基本にした、組織運営へ転換すること。である。