今年は4月に豊中市長選挙がある。現職を含め、今のところ誰も名乗りを上げていない。静かなのは表面だけで、伊丹廃港を執拗に繰り返す橋下知事が対抗馬を出すのではとの観測もささやかれ、水面下はピリピリしているのだろう。しかし、橋下にいいようにひっかきまわされるのだけはゴメンだ。そして、7月は参議院選挙だが、すでに解放同盟は松岡中央本部書記長の再選をめざして “選挙モード”に入っている。7月までもつのかと心配になるくらい入れ込んでいる、と醒めた眼で見ている。だが、この社会で生きている限り、政治と選挙とは関わらざるを得ないこともわかっているし、運動の一端にあればなおさらだから、矛盾は深まる一方だ。
振り返れば、初めて関わった選挙は、“被差別統一戦線”を掲げて闘った「上田卓三」の参議院選挙だった。惜敗したが、文字通り「闘った」実感があった。以後、いくどもその「上田選挙」をとりくみ、地も人も知り尽くすほどに遠い東大阪の地まで足繁く通った。また、地元・豊中では市会議員選挙(寺本~溝口)をこれまた何度も取り組んだ。さらにこの間には、国政・府政の選挙がいくつもあり、選挙に明け暮れるような年もあった。
部落解放運動や労働運動などが勢いがあった時代は、選挙闘争にも力が入ったが、(年をとったせいもあるが)昨今は疲れだけが残るから、いきおい引き気味になる。だから、どこかで誰かが笛を吹いても、聞こえはするが、自ら聞こうと言う気はこらないが、組織に属していると、あれやこれやの指示・通達がきて、チェックも入り、否応なしに向き合わざるを得なくなる。
かつてというか、選挙闘争は「議会主義」だと批判的に論じれられた時代があった。それがいつのまにか、誰も彼も選挙闘争に血道をあげるようになり、それが当たり前になった。部落解放運動も例外ではなく、大阪では多くの支部が出身議員をかかえている。豊中もその一つだから、これを批判する資格はないが、あえて言うならば、もうその時代は終わったのではという気がする。自分たちの声を代弁する人を議会に送り込み、政策実現を図ることは意味のあることだけれど、大事なことはそうしたとりくみによって人々の意識が高まり、組織が強化されるかということにある。議席を得ることが至上命題になり、肝心のことがおろそかにされてはいないか?
豊中の実情から言えば、選挙闘争はしんどいというイメージと実感がどんどん深くなり、一つ超えるたびに組織体力を減じていってるのが偽らざるところだ。それでも、容赦なしに指示・通達はやってくる。どうかわし、すり抜けるか?大事なのは目の前の同士であり、私であり、それ以外の者ではない。