解放新聞第2449号(12月21日)に、11月24日付けの福岡県連の「差別ハガキ偽造事件」について=最終見解と決意=が3ページに亘って掲載された。「立花町連続差別ハガキ事件」が“自作自演”であることが判明したのが7月だから、既に5ヶ月余が経過していることになる。だから、いまさらコメントする気にはなれないが、一言だけ言っておきたい。
自作自演者は、7月28日に業務妨害罪で、9月2日に同容疑で追起訴され、福岡地裁八女支部で、10月26日に「懲役1年6ヶ月、執行猶予4年」の判決がなされた。したがって、福岡県連の「最終見解」は判決から1ヶ月で出され、解放新聞はそれから1ヵ月後に報じた。
「立花町連続差別ハガキ事件」と喧伝されていたときは、解放新聞をはじめ、同系の活字メディアにしばしば記事が出ていたことを思えば、自作自演・逮捕以後の経過はどこにも報じられなかった。この落差はどこからくるのか?誰もが抱く疑問だ。そうした途中経過を一切省き、突然の「終息宣言」とも受け取れる「最終見解」である。問答無用の姿勢がありありだ。
もう少し丁寧さや謙虚さがあっていいのではないか?運動と組織の存在意義を問われる「事件」いくつもあり、その都度、「深刻な反省」をしてきたはずだ。しかし、“喉もと過ぎれば熱さ忘れる」かのように、これらをやり過ごしてきた。このたびもまたその轍を踏んだ。しかし、こんな振る舞いが通用すると思うその感覚に、組織と運動の底知れない危機を感じる。