行ってきたよ!高裁&高検
この日も高裁に3時、高検に4時にアポをとっていたので、日比谷野音での集会の終わりを見届けることなく、総勢3名で要請行動に向かった。まずは高裁。例によって入口右側の部屋に案内されると、すぐに担当官が入ってきて立ったまま自己紹介をし出す。馴染みの蓮尾さんと新しく塚原さんと森本さんと向こうも3名だ。
要請書を渡し、とりあえず読み上げる。そして、やりとりに入るが、これまたいつものように何を尋ねても「聞き置く」という対応に終始。「要請があったことは伝えます」「伝えた結果を次回に教えてほしい」「その胸はお伝えします」と、押し問答が続く。要請行動は一手に引き受けていると言いながら、「判断」できることは何もない。ただ、「経由」するのみという無責任な体制に乗っかって、「お伝えします」を言うのみ。そして、約束の時間(30分)がきたら、そそくさと立ち上がって出ていった。
こうしたやりとりは何度もし、こうした光景も何度も目の当たりにしてきた。もちろん、そのたびに「疲れ」が倍加するが、それでも欠かすことはできない。私たち(ストーン・リバー)にできることはたかが知れているが、私たち(ストーン・リバー)にしかできないことでもあるから、これをやり続ける。
次いで向かった高検では、いつもの担当官が出られず、20代と30代とおぼしき若いお二人(山中さんと中村さん)が対応。同じく、まず要請書を読み上げる。と、その前に念のために担当検察官は代わっていないかどうか確かめると、「代わっています」とのこと。10月末に坂口順造検事から加藤朋寛(ともひろ)検事になったそうな。ほんとにころころ代わる。これではきちっとした「判断」はできるはずがない。いや、そもそもする気がないのではと思ってしまう。
さて、検察官の報告書について尋ねてもピンチヒッターのお二人は知らないとのことだし、そもそも狭山事件そのものも知らないも同然とのことなので、つっこんだやりとりは望んでも無理だった。証拠開示や冤罪などについて、一般的なやりとりをするにとどめ、こちらの要請内容を伝えてもらうように頼んだ。
若い彼らも彼らなりに誠実に受け答えしてくれて、それはそれでよかったかなとも思った。何年か先に、彼らも頭が固い人間にならないことを祈りたい。
外に出ると5時にはまだ時間があるのに、もう薄暗く、夜のとばりが降り始めていた。遠くにネオンがついた東京タワーも見える。徒労感はないが、何かまだもの足りず、し残した感じがする。そう、闘いはこれから、まだ続く。門野裁判長が検察の木で鼻をくくった回答をよしとし、証拠開示に蓋をするような置きみやげをしようとも、闘いは終わらない。再審の扉を開け、石川一雄さんの冤罪が晴れ、無罪となる日まで続く。私たち(ストーン・リバー)の表敬訪問も・・・。