ないない尽くしの検察官報告書
9月10日、東京高裁で初の「三者協議」が行われ、弁護側の証拠開示請求に対する検察官の回答を10月末までにすること、それをふまえて年内に再度「三者協議」をもつことが確認された。そして10月30日付けで検察官の意見書が裁判所に提出された。「証拠不見当」(開示請求された証拠はない)、「不開示」(開示の必要性なし)といった回答も予想されるなか、11月27日に日比谷野外音楽堂で「検察官の証拠隠しは許されない!東京高裁は開示勧告を!と市民集会が行われた。
2007年2月23日には志布志事件(鹿児島)で一審無罪判決が出され、2007年10月10日には氷見事件(富山)で再審無罪判決が出され、さらに、無実が明らかとなり、2009年6月4日に刑が執行停止され、釈放された菅家さんの足利事件は、6月23日に再審開始決定が出され、10月21日には再審裁判が始まり、11月24日の第2回公判では、録音テープの証拠採用と当時の検察官証人尋問尋問が決まり、冤罪解明が進んでいる。
こうした状況のもとに行われた狭山事件の「三者協議だが、寺尾や高木など苦杯を舐め続けてきた経過からすれば、裁判所が心を入れ替えて、狭山事件にも真っ当な対応をするのではとはにわかには思えない。しかし、そうした対応は、彼らが追い込まれているという一面でもあり、たとえポーズであったとしても、それを使わない手はない。土壇場での「背信」を織り込んだ上で、事態を動かすために行動を重ねることが大事だ。
集会で
中山弁護団長は、「検察官の意見書は不当極まるものだ。報告書の中で検察官は『証拠開示の法的根拠はない。再審は新証拠の新規性・明白性について、裁判所の職権主義によってなされるもので、1・2審の」審理とは違う。裁判所に協力することがあるにしても、再審請求審は新証拠との関連性がある場合に限られる。開請求に答える義務はない』とし、さらに、証拠の有無については、『雑木林でのルミノール反応捜査報告書は、ない。その外については答える必要はない』と言っている。これに対して、弁護団では反論書を準備中だ」と述べた。
果たして、予想通りの結果と言えるが、あまりにも人を愚弄した「回答」だ。「(求めているものは)ない」「答える義務も必要もない」と、ゼロ回答どころか、限りなきマイナスである。鉄面皮とはこういうことを言うのだろう。そして、これはこと「狭山事件」に関しては、ガードは崩さないという検察の堅い意思の表明でもあるように思う。蟻の一穴から虚構が崩れ、真相が暴かれることを知っているがゆえに、こうした破廉恥な対応をせざるを得ないのだろう。
さて、裁判所が検察に投げたボールは、的を大きく外して投げ返されてきた。弁護団はその不当性を余すところなく暴き、裁判所にストレートを投げ込むはずだ。そして、問題の帰趨は裁判所が次に、誰にどんなボールを投げるかだ。それによって、このたびの「三者協議」の結果が出るし、門野裁判長が本気で、狭山事件を考えていたのかどうかもわかる。しかし、私たちはそれをただ「待つ」だけではなく、検察の証拠隠しの不当性を暴き、世論に訴え、かつ、裁判所がまっとうな判断をするように圧力をかけねばならない。
機が熟しても、その機を活かす人がいなければ、機は去り、事態は動かないし、人がいても、機が熟さないと、どんなにあがいても、どうにもならないこともある。その意味では、今、第3次再審は事態が動く可能性が一番大きい時を迎えている。46年間の闘いが機を熟させ、それを活かす人を生み、それらが出会い、歴史の歯車を動かす場面を創りだしつつある。